正語(しょうご)とは?人間関係を決定づける言葉遣いと4つの柱

「正語」 人間関係を決定づける言葉遣い

「あんなこと、言わなければよかった」

あなたにも、口にした言葉を夜になって思い返すことはないでしょうか。言ったのは一瞬です。それでも、相手の表情はなかなか頭から離れません。

多くの人は、人間関係を「相性」や「性格」で決まるものだと考えています。

でも、仏教は少し違う見方をします。毎日交わす言葉の積み重ねが、関係の形をつくっていくと考えるのです。

その言葉の整え方を説いたのが、正語(しょうご)です。

この記事では、正語の意味と4つの柱、言葉と人間関係のつながり、日常での実践のしかたをお伝えします。読み終えるころには、明日のひと言を選ぶ手がかりが見えてくるはずです。

「正語(しょうご)」人間関係を決定づける言葉遣い

正語とは何か?八正道のひとつで「言葉」を整える道

正語は、お釈迦様が説いた八正道(はっしょうどう)のひとつです。八正道とは、苦しみを離れるための8つの実践のことです。

つまり正語とは、苦しみを増やさない言葉を選ぶ、という実践なのです。

「言葉遣いなら、敬語やマナーの話だろう」と、あなたは思うかもしれませんね。

でも、正語が見ているのは言葉の形より、言葉の中身と向きです。丁寧な敬語でも、相手を傷つけるための言葉はあります。くだけた言い方でも、相手を支える言葉はあります。

お釈迦様は、言葉への戒めを実にたくさん説きました。言葉は使い方ひとつで、周りの環境をよくも悪くもするからです。

人は口の中に斧を持って生まれてくる、と説いたとも伝えられています。とがった言葉は相手を切り、同時に自分の心も傷つけるのです。

身口意の「口」、言葉も行いのうち

仏教では、人の行いを身口意(しんくい)の3つに分けて見ます。体でする行い、口でする言葉、心で思うことの3つです。

ここで大切なのは、言葉も「行い」に数えられている点です。

「言っただけで、何もしていない」とは、仏教では考えません。言葉は、相手の心に確かに届く行為だからです。

たとえば、何気ないひと言で職場の空気が重くなった経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。手は何も動かしていないのに、周りは確かに変わっています。

口から出る前に、ひと呼吸だけ置けばいいのです。

言葉は、いちばん身近な「行い」である。

「正語」の四つの柱、嘘と悪口と二枚舌と飾った言葉を離れる

仏教では、正語の中身を4つの「離れること」として説いてきました。不妄語(ふもうご)、不悪口(ふあっく)、不両舌(ふりょうぜつ)、不綺語(ふきご)です。

4つを暗記する必要はありません。自分の口ぐせに当てはめる質問として読んでみてください。

不妄語、嘘をつかない

不妄語は、事実と違うことを言わないことです。

「小さな嘘なら、角が立たなくてすむ」と考える方は少なくありません。

でも、嘘はひとつつくと、それを守るための次の嘘を呼びます。そして一度ばれると、それまでの本当の言葉まで疑われてしまいます。

たとえば、遅刻の理由を「電車が遅れて」とごまかす場面です。「出るのが遅くなりました」と言うほうが、その場は気まずくても、信頼は残ります。

不悪口、人を傷つける言葉を言わない

不悪口は、相手をののしったり、見下したりする言葉を言わないことです。

悪口は、言った瞬間は少しすっきりするかもしれません。

でも、とがった言葉は相手の心に残り、関係に小さなひびを入れます。そのひびは、あとから「冗談だった」と言っても元には戻りません。

しかも、悪口を言う口ぐせは、聞いている周りの人にも伝わります。「この人は、自分のいないところでも同じことを言うのだろう」と思われてしまうのです。

たとえば、同僚の失敗を話題にしたくなったときです。その同僚の名前を出す代わりに、「自分も気をつけよう」と心の中で言い換えればいいのです。

とがった言葉に気づき、言い換えていくことは、山にこもって行う修行ではありません。職場でも家庭でも、言葉を交わすその場が、そのまま実践の場になります。得藏寺では、今の仕事や住まいを変えないまま僧侶として歩む道もあり、得度についてのページで条件や流れをお伝えしています。

不両舌、人と人の仲を裂く言葉を言わない

不両舌は、二枚舌を使わないことです。Aさんの前ではBさんを悪く言い、Bさんの前ではAさんを悪く言う。そうして人の仲を裂く言葉を離れます。

職場や地域の人間関係がこじれる原因は、この「陰で言うひと言」であることが少なくありません。言った本人は軽い気持ちでも、話は形を変えながら広がっていきます。

聞いた話を別の人へ運ぶ前に、「これは本人の前でも言えるか」と考えればいいのです。

不綺語、中身のない飾った言葉を言わない

不綺語は、うわべだけの飾った言葉や、中身のないおしゃべりを離れることです。

世間話がいけない、という意味ではありません。問題は、その場を取りつくろうためだけの言葉です。

たとえば、心にもないお世辞を並べると、相手はかえって距離を感じます。短くても本心の「助かりました」のほうが、ずっと深く届くのです。

言う前に、嘘、悪口、陰口、飾りのどれかになっていないかを見る。

言葉の影響と人間関係、何をどう話し、誰と言葉を交わすか

人間関係を決めるのは、特別な場面の言葉だけではありません。「おはよう」「ありがとう」「それはおかしい」といった、毎日の小さな言葉の積み重ねです。

言葉が変われば、周りの人の返してくる言葉も変わります。そうして、あなたを取り巻く環境そのものが少しずつ変わっていくのです。

話す前に3つだけ考える

感情のままに言葉を吐き出すと、あとで悔やむことになりがちです。

話す前に、次の3つを考えてみてください。

1つ目、何を話すのか。
2つ目、どのように話すのか。
3つ目、それを話して、誰かの役に立つのか。

経典にも、よい言葉の条件が挙げられています。ふさわしい時に、本当のことを、やさしく、役に立つように、思いやりの心で話すことです。

つまり、相手が聞きたくなる言葉、聞いて役に立つ言葉を選べばいいのです。3つの問いは、そのための小さな関所です。

でも、正語は、いつも無難なことだけを言いなさいという教えではありません。相手のためになるなら、言いにくいことを伝えてもいいのです。

大切なのは、その言葉が相手を下げるためか、相手を支えるためか、という向きです。

善友、誰と付き合うかで言葉は変わる

人はどうしても、周りの環境や人の影響を受けます。いつも誰かの悪口で盛り上がる輪にいると、自分の口からも同じ言葉が出やすくなります。

仏教では、よい影響を与え合える仲間を善友(ぜんゆう)と呼び、とても大切にしてきました。

お釈迦様は弟子に、善き友を持つことは仏道の半分どころか、そのすべてだと語ったと伝えられています。

つまり、誰と付き合い、どんな言葉を交わすかは、生き方そのものに関わるということです。

とはいえ、人間関係をすぐに切り替えられる人は多くありません。まずは、聞いていて心が温まる言葉を話す人と、過ごす時間を少し増やせばいいのです。

浄土真宗でも、ともに教えを聞く仲間を大切にしてきました。親鸞聖人は、自分には弟子はひとりもいないと語ったと『歎異抄』に残されています。上下ではなく、同じ凡夫として並んで歩く仲間という受け止め方です。

そしてあなた自身が、誰かにとっての善友になることもできます。

言葉は、付き合う人から移り、付き合う人へ移っていく。

日常生活での正語の実践、家庭と職場でできること

「正語は立派な人のための教えで、自分には難しい」と感じる方もいるかもしれません。

でも、正語は特別な修行を求めていません。今日のひと言を、ほんの少し選び直すだけです。

家庭での正語、いちばん近い人への言葉から

言葉がいちばん雑になりやすいのは、実は家族の前ではないでしょうか。

たとえば、頼んだことを家族が忘れていたとします。「なんでいつも忘れるの」と言えば、相手は身構えます。

「次は一緒にメモしておこうか」と言えば、同じ出来事が相談に変わります。

責める言葉を、次にどうするかの言葉に置き換えればいいのです。

職場での正語、伝える前にひと呼吸

職場では、メールやチャットの短い文章が誤解を生みがちです。顔が見えない分、言葉がそのまま相手に刺さります。

送信する前に、一度だけ読み返してみてください。「本人の前でも同じ言い方をするか」と考えるだけで、文面はやわらかくなります。

注意をするときは、人ではなく出来事について話せばいいのです。「あなたはだめだ」ではなく、「この書類のここを直してほしい」と伝えます。

聴くことも正語のうち

正語というと話し方ばかりに目が向きます。でも、相手の話を最後まで聴くことも、よい言葉のための土台です。

途中で言葉をさえぎらずに聴くと、相手が本当に言いたいことがわかります。わかってから話す言葉は、自然と相手に届く言葉になるのです。

今日のひと言を、責める言葉から次の一歩の言葉に変えてみよう。

浄土真宗から見た正語、言葉を整えきれない私たち

ここまで読んで、「わかっていても、つい口がすべる」と感じた方もいるでしょう。

その感じ方は、とても大切です。

浄土真宗では、怒りや欲を抱えたまま生きる人を凡夫(ぼんぷ)と見つめます。凡夫の口からは、気をつけていても、とがった言葉がこぼれてしまうのです。

親鸞聖人も、自分をどんな修行もやりとげられない身と見つめていました。

ですから、正語を完璧に守れることが救いの条件ではありません。阿弥陀さまは、そのような凡夫をこそ救うと願われた、と受け止めます。

そのうえで、浄土真宗には大切な言葉がひとつあります。南無阿弥陀仏です。

浄土真宗では、お念仏は自分の力で唱える呪文ではなく、阿弥陀さまからの呼び声として受け止めます。くわしくは念仏の記事をご覧ください。

とがった言葉しか出てこない口に、仏さまの言葉が届いている。そう気づくと、自分の言葉を振り返るまなざしもやわらかくなるはずです。

言いすぎてしまった日は、「またやってしまった」と気づけばいいのです。そして、ひと言だけでも謝る。得藏寺では、正語をそのように受け止めています。

言葉を整えきれない口にも、仏さまの言葉は届いている。

正語に関するよくある質問

正語の読み方は?

「しょうご」と読みます。八正道のひとつで、正しい言葉、よい言葉と言い換えられます。

正語の4つの柱とは?

不妄語(嘘をつかない)、不悪口(人を傷つける言葉を言わない)の2つがまずあります。さらに不両舌(二枚舌で仲を裂かない)、不綺語(中身のない飾った言葉を言わない)を合わせた4つです。

正語と身口意の関係は?

身口意は、人の行いを体、口、心の3つに分けた見方です。正語はそのうちの「口」の行いを整える実践にあたります。言葉の手前にある心の向きを整えるのが、八正道の正思惟(しょうしゆい)です。

本当のことなら、厳しいことを言ってもいいのですか?

本当のことでも、相手を下げるためだけに言うなら、正語から外れます。一方で、相手のためになるなら、言いにくいことを伝えることもあります。時と言い方を選び、思いやりの心で伝えることが大切です。

浄土真宗でも正語を大切にしますか?

大切にします。ただし浄土真宗では、正語を守りきれない自分の姿も同時に見つめます。そのうえで、阿弥陀さまの願いにお任せし、お念仏を申す日々を大切にします。

まとめ、正語で人間関係を整える

正語とは、八正道のひとつで、苦しみを増やさない言葉を選ぶ実践です。

嘘、悪口、二枚舌、飾った言葉を離れる。この4つの柱が、信頼される人間関係の土台になります。

話す前には、何を、どのように、それが役に立つかを考える。そして、よい言葉を交わせる善友との縁を大切にする。言葉が変われば、あなたの周りの環境も少しずつ変わっていくはずです。

今日、誰かにかける言葉をひとつだけ選び直してみてください。それが正語の最初の一歩です。

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、仏陀倶楽部(BuddhaClub)代表

愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校卒業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す
現在は誰でもすぐ「得度」をできる活動を推進中。

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