「気がつけば、もう夜になっている」
あなたにも、そんな毎日が続いていないでしょうか。歩いているときも、座っているときも、頭は次の予定でいっぱいです。
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)とは、歩く、とどまる、座る、横になるという4つの動作のことです。転じて、日常の立ち居振る舞いのすべて、「いつも」「ふだん」という意味でも使われます。
もとは仏教の言葉です。この記事では、行住坐臥の意味と読み方、日常語としての使い方と例文、そして仏教ではこの言葉をどう受け止めてきたのかを、順にお伝えします。
「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」ってどんな教え?意味と読み方
行住坐臥は「ぎょうじゅうざが」と読みます。
「行」を「こう」、「住」を「すむ」と読みたくなるかもしれません。でも、四字熟語としては「ぎょうじゅうざが」と読みます。
4つの文字の意味、行・住・坐・臥
4つの漢字は、それぞれひとつの動作を表しています。
行(ぎょう)は、歩くこと。住(じゅう)は、とどまること、立ち止まっていることです。
坐(ざ)は、座ること。臥(が)は、横になること、寝ることです。
「住」を「住む」と読んでしまう方が少なくありません。でも、ここでの「住」は、その場にとどまるという意味です。
つまり行住坐臥とは、人が一日のうちにとる姿勢を、4つに分けて並べた言葉なのです。
もとは仏教の「四威儀」
仏教では、この4つの動作をまとめて四威儀(しいぎ)と呼んできました。
威儀とは、立ち居振る舞いのことです。つまり四威儀とは、歩く、とどまる、座る、横になるという、4つの基本の振る舞いのことです。
4つを並べると、人の一日はほとんどこの中に収まります。特別なときではなく、暮らしの全部を指す言葉だったのです。
日常語としての意味と使い方、例文
この「暮らしの全部」という意味から、行住坐臥は「いつも」「ふだん」「四六時中」という意味でも使われるようになりました。
文の頭や途中に置いて、「何をしているときも」という気持ちを表すのが一般的な使い方です。少し改まった、書き言葉寄りの表現です。
たとえば、次のような使い方ができます。
「行住坐臥、安全第一を心がけています。」
「行住坐臥、感謝の気持ちを忘れないようにしたい。」
「行住坐臥、頭の中は仕事のことでいっぱいだった。」
どの例文も、「どんなときも」と言い換えると意味が通ります。迷ったときは、この言い換えで確かめればいいのです。
行住坐臥と似た言葉
行住坐臥と近い意味で使われる言葉も、いくつかあります。
常住坐臥(じょうじゅうざが)は、「いつも」「ふだん」という意味の言葉です。行住坐臥とほとんど同じ場面で使えます。
四六時中(しろくじちゅう)は、「一日中」「いつも」という意味です。行住坐臥よりくだけた言い方で、会話でもよく使われます。
起居動作(ききょどうさ)は、立ったり座ったりする、日常の立ち居振る舞いのことです。行住坐臥のもとの意味に近い言葉です。
どれも、「特別なときだけではなく、ふだんずっと」という点で共通しています。
行住坐臥とは、暮らしのすべての時間のこと。
禅の教えに見る行住坐臥、「今、ここ」に意識を集中する
禅の教えでは、坐禅をしている時間だけが修行ではないと説かれてきました。
歩くこと、掃除をすること、食事をいただくこと。行住坐臥のすべてが修行だと受け止めるのです。
修行の場は、特別な場所だけではない
行住坐臥が教えてくれるのは、仏道が山の中やお寺の中だけにあるのではない、ということです。
通勤の道も、台所も、職場の机も、そのまま仏の教えと向き合う場になります。
日常の立ち居振る舞いそのものが仏道だと受け止めるなら、仕事や暮らしを手放さなくても、その道を歩むことはできます。得藏寺では、今の仕事や暮らしを続けたまま、剃髪をせずに得度し、僧侶として歩んでいる方々がいます。くわしくは働きながら僧侶になる道のページでご案内しています。
「今、ここ」に意識を集中する
多くの人は、歩きながら別のことを考えています。食事をしながら画面を見て、横になってからも明日の心配をしています。
体はここにあるのに、心は別の場所にある。そんな状態が、いつのまにか当たり前になっています。
行住坐臥を大切にするとは、今している動作に、心を戻すことです。
たとえば、歩くときは足の裏が地面に触れる感覚に気づく。座るときは、背中と呼吸に気づく。それだけで、心は少し落ち着きを取り戻します。
近年よく聞く「マインドフルネス」も、今していることに気持ちを向けるという点で、通じるところがあります。

今日の帰り道、10歩だけでいいので、足の裏の感覚に気持ちを向けてみてください。
修行の場は、今あなたが立っている場所にある。
浄土真宗から見た行住坐臥、念仏は時と場所を選ばない
ここまで読んで、「いつも心を込めるなんて、自分にはとてもできない」と感じた方もいるかもしれませんね。
その感覚は、とても正直なものです。
疲れている日は、歩き方に気を配る余裕などありません。腹が立った日は、座っていても心が波立ったままです。
行住坐臥のすべてで心を整え続けることは、欲や怒りを抱えて生きる私たち凡夫(ぼんぶ)には、たやすいことではありません。
心を整えきれない私たちのための念仏
得藏寺は、浄土真宗のお寺です。
浄土真宗では、自分の力で心を整えきってから救われる、とは考えません。阿弥陀仏は、心を整えきれない者こそ救いたいと願われた仏さまだと受け止めます。
その願いを、阿弥陀仏の本願と呼びます。くわしくは他力本願の記事をご覧ください。
本願に気づかされたとき、口からこぼれるのが「南無阿弥陀仏」の念仏です。浄土真宗では、念仏は修行として積み上げるものではなく、救いへのお礼として称えるものと受け止めています。
念仏は、行住坐臥を選ばない
念仏は、正しい姿勢をとらなければ称えられないものではありません。
歩いているときでも、立ち止まっているときでも、座っているときでも、横になっているときでも、称えることができます。
禅の行住坐臥が「すべての時間を修行にする」ことだとすれば、浄土真宗の行住坐臥は「どんなときにも、阿弥陀仏の願いが届いている」ことだと言えます。
心が乱れたままの朝も、疲れて横になった夜も、そのままでいいのです。気づいたときに、念仏をひと声称えればいいのです。
どんな姿勢のあなたにも、阿弥陀仏の願いは届いている。
日常生活の中で「行住坐臥」を実践するには
行住坐臥を暮らしに活かすのに、特別な道具や時間はいりません。
4つの動作ごとに、ひとつずつ小さな一手を置いてみましょう。全部をやろうとしなくていいのです。
行、歩くとき
通勤の道で、いつもより少しだけ歩く速さを落としてみてください。
足の裏が地面に触れる感覚や、風の冷たさに気づくはずです。見慣れた景色の中に、新しい発見があるかもしれません。
住、立ち止まるとき
信号待ちや電車を待つ時間は、スマートフォンを見る時間になりがちです。
その数十秒だけ、背筋を伸ばして、ゆっくり息を吐いてみてください。待つ時間が、心を落ち着ける時間に変わります。
坐、座るとき
食事の前に、手を合わせて「いただきます」と言う。それだけで、食べ物が自分のもとに届くまでのつながりに目が向きます。
仕事で長く座るときは、ときどき姿勢を直して、呼吸を確かめればいいのです。
臥、横になるとき
布団に入ったら、今日一日の中で「ありがたかったこと」をひとつだけ思い浮かべてみてください。
うまくいかなかった日でも、ひとつは見つかるはずです。そのまま念仏をひと声称えて、目を閉じればいいのです。
一日に一度、今している動作に心を戻す。
「行住坐臥」がもたらす、心の豊かさ
心の豊かさは、特別な出来事の中にあると考える方が多いかもしれません。
でも、行住坐臥が教えてくれるのは、その反対です。豊かさは、歩く、とどまる、座る、横になるという当たり前の時間の中にあります。
当たり前の動作に気づくと、感謝が生まれる
今日、自分の足で歩けたこと。座って食事ができたこと。横になって眠れる場所があること。
どれも当たり前に思えます。でも、どれも多くの人や出来事のつながりがあって、はじめて成り立っています。
たとえば、今朝食べたご飯ひとつにも、育てた人、運んだ人、店に並べた人がいます。座って食べるという短い時間の後ろに、たくさんの手が重なっているのです。
その当たり前に気づいたとき、心には自然と「ありがたい」という気持ちが生まれます。
心と言葉と行いのつながりについては身口意(しんくい)の記事も参考になります。日常の心のあり方を説く言葉としては平常心是道もあわせてご覧ください。
完璧でなくていい
「毎日きちんと続けなければ意味がない」と、あなたは思うかもしれませんね。
行住坐臥のすべてに心を込めようとすると、できなかった自分を責めたくなります。
でも、心がそれてもかまいません。それたことに気づいたら、また戻せばいいのです。浄土真宗の立場でいえば、戻せない自分にも、阿弥陀仏の願いは届いています。
今この一瞬を大切にする考え方は、刹那の記事でもくわしくお伝えしています。
豊かさは、当たり前の時間の中にすでにある。
行住坐臥に関するよくある質問
行住坐臥の読み方は?
「ぎょうじゅうざが」と読みます。行は「ぎょう」、住は「じゅう」、坐は「ざ」、臥は「が」です。
行住坐臥を簡単に言うと、どんな意味ですか?
歩く、とどまる、座る、横になるという4つの動作のことです。そこから、日常の立ち居振る舞いのすべて、「いつも」「ふだん」という意味でも使われます。
行住坐臥と常住坐臥の違いは?
常住坐臥(じょうじゅうざが)は、「いつも」「ふだん」という意味で使われる言葉です。行住坐臥も同じ意味で使われますが、もとは4つの動作を並べた仏教の言葉という点に特徴があります。
「行住座臥」や「行往坐臥」と書いても正しいですか?
「坐」が常用漢字に含まれないため、「行住座臥」と書かれることもあります。一方、「行往坐臥」は一般的な表記ではありません。辞書に載っている表記は「行住坐臥」です。
浄土真宗でも行住坐臥を大切にしますか?
大切にします。ただし浄土真宗では、すべての時間を自分の力で修行にすることよりも、どんなときにも阿弥陀仏の願いが届いていることを大切にします。念仏は、行住坐臥を選ばずに称えることができます。
まとめ、行住坐臥を今日の暮らしに
行住坐臥とは、歩く、とどまる、座る、横になるという4つの動作のことです。読み方は「ぎょうじゅうざが」。転じて、「いつも」「ふだん」という意味でも使われます。
禅の教えでは、行住坐臥のすべてを修行と受け止めてきました。浄土真宗では、どんな姿勢のときにも念仏を称えることができ、どんなときにも阿弥陀仏の願いが届いていると受け止めます。
ほかの仏教の四字熟語は仏教の四字熟語と名言の記事でも紹介しています。
今日、どれかひとつの動作を選んで、そこに心を戻してみてください。それが行住坐臥を暮らしに活かす最初の一歩です。

















僧侶、著述家、仏陀倶楽部(BuddhaClub)代表
愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校卒業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す
現在は誰でもすぐ「得度」をできる活動を推進中。
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