阿弥陀仏の本願ぼこりとは何か?

阿弥陀仏の 本願ぼこり とは何か?

弥陀の本願とその解釈の深い理解

「弥陀の本願不思議におはしませばとて、悪をおそれざるは、また本願ぼこりとて、往生かなふべからずといふこと。(歎異抄13章)」

という教えは、私たちが阿弥陀仏の本願を深く理解する上で重要です。

この教えは、阿弥陀仏の無限の慈悲があるために、悪行を恐れない者が出現することへの懸念を示しています。
これを「本願ぼこり」と呼び、往生を否定する見方を示すことで、真の救済の意味を問い直しています。

本願ぼこりの誤解と正しい理解

本願ぼこりの解釈は、阿弥陀仏の教えに対する誤解から生じることがあります。

一見すると、阿弥陀仏が全ての罪深い者を救うという本願を、罪を犯しても許されるという誤った解釈に繋がる恐れがあります。
しかし、これは阿弥陀仏の本願の本質を見失うことに他なりません。

阿弥陀仏の本願は、罪を犯すことを許容するのではなく、罪を犯しても救われるという慈悲の心を表しています。

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この深い理解が、本願ぼこりの議論で重要なポイントです。

阿弥陀仏との関係性の探求

阿弥陀仏の本願に対する理解を深めることで、私たちは阿弥陀仏とのより深い関係性を築くことができます。
これは、私たちが阿弥陀仏の慈悲に頼ることで、自然と善行を行うように導かれることを意味します。

阿弥陀仏の本願に甘えることは、その本願の真意を理解し、私たち自身が改善しようとする動機を生むことに繋がります。このような阿弥陀仏との関係性を深めることが、真の往生への道です。

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他者の介入とその問題点

本願ぼこりの議論において、他者の介入は時に問題となることがあります。

他者が親子の関係に介入すると、その関係性が歪められる可能性があります。
同様に、阿弥陀仏の本願に対する甘えを、外部から批判的に見ることは、その深い意味を見落とすことになりかねません。

私たちは、他者の意見に左右されることなく、阿弥陀仏の本願の深い理解を目指すべきです。

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本願ぼこりの真の意味と実践

阿弥陀仏の本願への甘えは、単に悪行を許容することではなく、私たちが自身の罪を認識し、それを乗り越えるための力を与えてくれます。

この理解を深めることが、本願ぼこりの真の意味を理解する鍵です。

私たちは、阿弥陀仏の慈悲に感謝し、それに応えるような生き方を心がけることが、本願ぼこりの議論において最も重要な実践です。

得藏寺が運営する「仏陀倶楽部」では、 日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、仏陀倶楽部(BuddhaClub)代表

愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す
現在は誰でもすぐ「得度」をできる活動を推進中。

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