輪廻(りんね)とは?

輪廻(りんね) の真相に迫る

「人は死んだらどうなるのだろう?」「生まれ変わりはあるのかな?」

こうした疑問は、誰もが一度は抱いたことがあるでしょう。 現代では「生まれ変わり」というと、スピリチュアルでロマンチックなイメージを持たれがちですが、仏教本来の「輪廻(りんね)」は少し意味合いが異なります。

実は、仏教において輪廻は「望ましいこと」ではなく、むしろ「抜け出すべき苦しみのサイクル」として説かれているのです。

本記事では、「輪廻」の本来の意味や仕組み、そして仏教が目指す「解脱(げだつ)」について、浄土真宗の視点も交えながら分かりやすく解説します。

「輪廻(サンサーラ)」とは本来どういう意味ですか?

「輪廻(りんね)」とは、命あるものが死と再生を永遠に繰り返し、迷いの世界をさまよい続けることです。

サンスクリット語では「サンサーラ(saṃsāra)」と言い、「共に流れる」という意味があります。

車の車輪が回り続けるように、あるいは川の水が絶え間なく流れるように、私たちの命は一つの生涯で終わらず、次の生へと形を変えて続いていくと考えられています。

仏教以前の古代インドからある思想ですが、お釈迦様はこの輪廻を「苦しみ(ドゥッカ)の連続」と捉えました。 なぜなら、どの世界に生まれ変わったとしても、そこには必ず「老い」「病気」「別れ」「死」といった苦しみが待ち受けているからです。 したがって仏教の最終目標は、生まれ変わること(輪廻)ではなく、このサイクルから抜け出すこと(解脱)にあるのです。

なぜ私たちは輪廻を繰り返してしまうのですか?

私たちの心にある「煩悩(ぼんのう)」と、それによって行われる「業(ごう・カルマ)」が原因です。

私たちは日々、「もっと欲しい(貪欲)」「許せない(瞋恚)」「どうせ自分なんて(愚痴)」といった煩悩に振り回されています。 この煩悩につき動かされて、心で思い、口に出し、身体で行動したことすべてが「業(カルマ)」となります。

業は消えることなくエネルギーとして残り、その力が私たちを次の生へと押し流していくのです。 つまり、「また生まれ変わりたい」と願わなくても、私たちが積み重ねた業の力が、自動的に次の行き先(来世)を決めてしまうのです。

浄土真宗 慈徳山 得藏寺 二十三世 愛葉宣明

私の元には、「死ぬのが怖い」「生きる意味がわからない」という相談が多く寄せられます。 ある時、自身の寿命を計算してみたことがあります。現在49歳で70歳まで生きると仮定すると、残りは約7665日。 この限られた時間の中で、私たちは何を積み重ねているでしょうか。 多くの場合、私たちは「明日も日常が続く」と思い込み、死という現実から目をそらしています。しかし、その無自覚な日々の中で積み重ねた「やったつもり」「先延ばし」といった心の業が、確実に未来の自分を形作っているのです。 輪廻の教えは、遠い来世の話だけでなく、「今のあなたの心の癖が、次の瞬間(未来)のあなたを作っている」という、現在の生き方に対する鋭い指摘でもあるのです。

業(カルマ)とは?仏教における意味と現代への適用 - 浄土真宗の視点から

死んだらどこへ行くのですか?(六道について)

仏教では、業の結果として生まれ変わる6つの世界「六道(ろくどう)」が説かれています。

  1. 地獄道(じごくどう): 最も苦しい世界。怒りや殺生の報い。
  2. 餓鬼道(がきどう): 飢えと渇きに苦しむ世界。貪欲や物惜しみの報い。
  3. 畜生道(ちくしょうどう): 動物の世界。本能のままに生き、互いに食い合う。
  4. 修羅道(しゅらどう): 争いや怒りが絶えない闘いの世界。
  5. 人間道(にんげんどう): 私たちの住む世界。苦しみもあるが楽しみもあり、仏教を聞くことができる唯一の場所。
  6. 天道(てんどう): 快楽に満ちた世界だが、寿命が尽きればまた堕ちる苦しみがある。

これらは死後の世界であると同時に、私たちの「心の状態」を表しているとも言えます。 怒りに燃えている時は地獄、欲にまみれている時は餓鬼。私たちの心は、生きている間もこの六道をぐるぐると巡っているのです。

六道・三界・十界 について学ぶ

輪廻から抜け出す(解脱する)にはどうすればいいですか?

自力で輪廻を断ち切ることは困難ですが、浄土真宗では「阿弥陀如来の救い(他力)」によって、輪廻を超えた「浄土」へ往生できると説きます。

本来、輪廻から抜け出す(解脱する)には、厳しい修行を行い、全ての煩悩を断ち切らなければなりません。しかし、私たち凡夫(普通の人間)にとって、欲や怒りを完全に消すことは不可能です。

そこで親鸞聖人は、「自力ではどうにもならない私たちだからこそ、阿弥陀仏が『必ず救う』と誓ってくださったのだ」と説かれました。

この阿弥陀仏の本願を信じ、「南無阿弥陀仏」とお念仏する人は、死後、六道をさまようのではなく、阿弥陀仏の国である「極楽浄土」に生まれさせていただくことができます。 浄土は輪廻のサイクルから外れた悟りの世界ですので、そこへ往生することは、すなわち輪廻からの完全な解脱を意味します。

おわりに

輪廻という言葉は、一見すると怖い話のように聞こえるかもしれません。 しかし、それは「今の自分の行いが、未来の自分を作っている」という、命の厳粛なルールを教えてくれています。

そして、どんなに業深く、迷い続ける私たちであっても、決して見捨てない阿弥陀様という存在がいること。 その安心感(他力)の中で、今日という一日を大切に生きていくことこそが、私たちができる最善の「行い」なのかもしれません。 南無阿弥陀仏

得藏寺が運営する「仏陀倶楽部」では、 日々の迷いや立ち止まりを、

一人で抱えずに言葉にする場があります。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、仏陀倶楽部(BuddhaClub)代表

愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す
現在は誰でもすぐ「得度」をできる活動を推進中。

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