本記事では「自分らしさ」や「自分の価値」について、考察させていただきます。「自分らしく生きることが難しい」「自分の価値がわからない」と悩む方は、決して少なくありません。そんな皆さまに、親鸞聖人の智慧を通して、新たな気づきをお届けできればと思います。
目次
自分らしさを見失う原因を見つめる
まず、自分らしさを見失う原因について考えてみましょう。
社会の期待や他者との比較に囚われ、「こうあるべき」という思い込みに縛られていませんか?過去の辛い経験や、自分への固定観念が、本来の可能性を狭めてしまうこともあるでしょう。
また、自己肯定感の低さが、自分の価値を見出せない大きな要因となっている方も多いのではないでしょうか。自分を受け入れ、認めることの難しさ。それは、私たち多くの者が抱える悩みかもしれません。
「非我」の教えから学ぶ、執着しない生き方
こうした悩みに対し、親鸞聖人の教えはどのような示唆を与えてくれるでしょうか。まず大切なのは、「非我(ひが)」の理解です。私たちは、「自我(じが)」に執着し、固定的な自己像を作り上げようとします。しかし、それは幻想に過ぎません。
親鸞聖人は、執着する「自我」を手放し、あるがままの自分を受け入れることを説かれました。自分らしさも、固定的なものではなく、刻々と変化するもの。そのことを理解し、執着を手放す。そこに、自由な生き方への一歩があるのです。
「縁起」の理解から見出す、自分の存在意義
また、仏教の根本的な教えである「縁起(えんぎ)」の理解も、自分の価値を見出すために役立ちます。私たちは、決して独立した存在ではありません。多くの人や物、環境との繋がりの中で、生かされているのです。
親鸞聖人は、この「縁起」の教えを通して、一人一人の存在意義を説かれました。
他者との関わりの中で、自分の役割を見出すこと。そこに、自分らしく生きる道が開かれるのです。
「業」の法則に従い、自分らしさを育む
さらに、「業(ぎょう・カルマ)」の法則も、自分らしさを育むための大切な教えです。私たちは、日々の行動や選択の積み重ねによって、自分自身を形作っているのです。
親鸞聖人は、この「業」の法則に従って、善き行いを積むことの大切さを説かれました。自分の興味や情熱、価値観に正直に従って行動する。他者への貢献やボランティア活動に励む。そうした一つ一つの選択が、自分らしさを育んでいくのです。
自分らしく生きる、親鸞聖人の教え
親鸞聖人の生涯は、まさに自分らしく生きることの模範と言えるでしょう。身分や地位にとらわれず、真実を求めて歩まれた。そして、多くの人々に慈悲の心を持って接してこられました。
自分の価値を認め、自分らしく生きる。それは、私たち一人一人が目指すべき道です。そこには、人生の真の充実感と、他者とのより良い関係性が待っているはずです。
南無阿弥陀仏。