六波羅蜜とは?6つの意味をわかりやすく、今日からできる実践

仏教における六波羅蜜(ろくはらみつ)とは?

「いい話を聞いたのに、次の日にはもう忘れている」

あなたにも、そんな覚えはないでしょうか。本を読んで感動しても、動画を見てうなずいても、暮らしは昨日と同じまま。

仏教では、学ぶだけで終わることを良しとしません。頭にたくさん入れても、使わなければ「動く辞書」になってしまうからです。

では、学んだことを何に使えばいいのか。その答えのひとつが六波羅蜜(ろくはらみつ)です。

この記事では、六波羅蜜の意味と読み方、6つの中身を、毎日の場面に置き換えてお伝えします。読み終えるころには、今日どれから手をつければいいかが見えてくるはずです。

六波羅蜜については、得藏寺の暁蓮(ぎょうれん)が動画でも7分半ほどでお話ししています。文章と合わせてご覧ください。

六波羅蜜の言葉の意味、「波羅蜜」は向こう岸へ渡ること

六波羅蜜は「ろくはらみつ」と読みます。京都の六波羅蜜寺の名前で、この言葉を知った方も多いかもしれません。

「波羅蜜」は、サンスクリット語の「パーラミター」に漢字の音をあてた言葉です。般若心経(はんにゃしんぎょう)の「波羅蜜多」と同じ言葉だと言えば、聞き覚えがあるのではないでしょうか。

パーラミターは「完成」と訳され、「彼岸に到る」とも訳されてきました。

彼岸とは、向こう岸のことです。迷いや苦しみのある「こちら岸」から、心おだやかな「向こう岸」へ渡っていく。秋と春のお彼岸の「彼岸」も、この考え方から来ています。

つまり六波羅蜜とは、向こう岸へ渡るための6つの実践のことです。

六波羅蜜は、学んだことを生き方に移すための6つの舟である。

布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の6つ

6つを、ひとことずつ言い換えて並べてみます。

1つ目、布施(ふせ)。人に何かを差し上げること。
2つ目、持戒(じかい)。自分で決めたことを守ること。
3つ目、忍辱(にんにく)。逆境でも心を折らないこと。
4つ目、精進(しょうじん)。目的に向かって正しく続けること。
5つ目、禅定(ぜんじょう)。心を落ち着けて、ひとつに向けること。
6つ目、智慧(ちえ)。物事をありのままに見抜く力。

漢字だけ見ると、どれも難しそうに見えます。

でも、ひとつずつ中身を開くと、どれも毎日の暮らしの中にある場面ばかりです。具体的な場面は、このあと「実践方法」の章で見ていきます。

仏教における六波羅蜜(ろくはらみつ)とは?
仏教における六波羅蜜(ろくはらみつ)とは?

仏教の教えにおける位置づけ、菩薩が歩む道

六波羅蜜は、大乗仏教で菩薩(ぼさつ)が歩む道とされてきました。菩薩とは、自分だけでなく、まわりの人も一緒に向こう岸へ渡ろうとする人のことです。

「菩薩というと、お寺にいる仏像のことでは」と、あなたは思うかもしれませんね。

でも、菩薩はもともと、悟りを目指して歩んでいる途中の人を呼ぶ言葉です。ゴールにたどり着いた人ではなく、歩いている最中の人なのです。

注目したいのは、6つの最初に布施が置かれていることです。

自分の心を磨く前に、まず人に差し上げることから始まる。六波羅蜜は、人との関わりの中で自分が変わっていく道だと言えます。

たとえば、職場で後輩に仕事のコツを教えてみてください。教えるうちに、自分の理解のあいまいな所に気づくはずです。人のためにしたことが、そのまま自分を育てていく。六波羅蜜の順番には、そんな仕組みがあります。

人に差し上げることから、自分の道が始まる。

菩薩とは、寺にこもる人ではなく、今いる場所で人と関わりながら歩いている人のことでした。得藏寺にも、仕事や住む場所を変えないまま仏教を学び、僧侶として歩みはじめた方がいます。その歩き方は得度についてのページでご案内しています。

六波羅蜜と八正道の違い

六波羅蜜とよく比べられるのが、八正道(はっしょうどう)です。

八正道は、お釈迦様が最初の説法で説いたとされる8つの実践です。四諦(したい)の最後にある「苦しみを終わらせる道」にあたります。

2つの違いを一言でいえば、出発点です。八正道は、自分の苦しみを終わらせることから始まります。六波羅蜜は、人に差し上げることから始まります。

とはいえ、別々の教えではありません。八正道の「正精進」と六波羅蜜の「精進」、「正定」と「禅定」のように、重なる所も多くあります。

自分の足元を整えるのが八正道。人と一緒に歩くのが六波羅蜜。そう覚えておけばいいのです。

八正道の重要性とは? 人間の苦悩からの脱却法

六波羅蜜の具体的な実践方法、1日1つでいい

「6つも全部やるなんて無理」と感じたかもしれません。

でも、六波羅蜜は6つを同時に完璧にこなす教えではありません。どれかひとつ、今日できるものを選べばいいのです。

「修行」という言葉でとらえると、毎日の暮らしとは関係のない話に思えてしまいます。

でも、六波羅蜜は、人生を歩くための枠組みとして使えます。実践すれば毎日が少し生きやすくなる方法、くらいに受け止めてかまいません。

ここからは、1つずつ「一言の言い換え、日常の場面、今日の一手」の順で見ていきます。

布施とは?お金や物だけでなく、時間や安心を差し上げること

布施と聞くと、お坊さんにお金を包むことを思い浮かべる方が少なくありません。

でも、六波羅蜜の布施は、お坊さんだけが相手ではありません。まわりのあらゆる人に、自分が差し上げられるものを差し上げることです。

差し上げるものは、お金や物に限りません。自分の時間、知っている良い教え、相手の不安をやわらげるひと言も布施になります。

身につけた技術を教えること、笑顔で接すること、やさしい言葉をかけることも、立派な布施です。

ちなみに布施の原語「ダーナ」は、「檀那(だんな)」とも音写されました。「旦那」の語源ともいわれています。

とはいえ、布施はなかなか難しいものです。自分に余裕がないと感じたとたん、差し上げるつもりだった物まで惜しくなってしまうからです。

たとえば、忙しい日に家族から話しかけられたとしてみてください。手を止めて5分だけ話を聞く。それも立派な布施です。

今日は誰かに、5分の時間を差し上げればいいのです。お金をかけない布施については、お布施と無財の七施の記事でもくわしく紹介しています。

得度について

持戒とは?自分で決めたことをコロコロ変えないこと

持戒は、戒を持つと書きます。戒というと、お坊さんが守る厳しい決まりを思い浮かべるかもしれません。

でも、日々を暮らす人にとっての持戒は、もっと身近なものです。自分で「こうなる」と決めたことを、簡単に変えないことです。

決めることは、大きな誓いでなくてかまいません。「人に優しくする」「怒らない」でも大丈夫です。

たとえば、「今日から人に優しくする」と決めた日に、嫌なことを言われたとしてみてください。「今日だけはやめておこう」と思いたくなる。そこで優しい自分を続けるのが持戒です。

仏教の基本の決まりには五戒(ごかい)もありますが、最初はひとつで十分です。

自分との約束をひとつだけ決めて、今日1日守ればいいのです。

五戒とは

忍辱とは?ひどいことに耐えるより、逆境で心を折らないこと

忍辱は、忍ぶ、屈辱の辱と書きます。字のままだと「ひどいことを言われても耐えなさい」と読めてしまいます。

でも、理不尽な扱いにただ黙って耐え続けることが忍辱ではありません。自分が決めた道の途中で、逆境が来ても折れたり腐ったりしないことです。

生きていれば、思い通りにならない場面は何度もやってきます。そのたびに心が折れて投げ出していたら、目指す場所にはたどり着けません。

たとえば、資格の勉強を続けていて、模試の結果が悪かったとしてみてください。「もう向いていない」と投げ出したくなる夜もあるでしょう。

落ち込むのは自然なことです。落ち込んだら、大事な決断は一晩寝てから決めればいいのです。

〜自他不二〜 人間関係を改善する教え

精進とは?がむしゃらではなく、目的に向かって正しく続けること

精進は、怠けずに努力を続けることです。ただし、何が何でもがむしゃらに頑張ることとは違います。

「こんなに頑張っているのに、うまくいかない」と感じたことはないでしょうか。

そのときは、頑張り方か目指す先か、どちらかがずれているのかもしれません。何のために頑張るのかを見失うと、努力は空回りしてしまいます。

つまり精進とは、自分で決めた目的に向かって、正しい歩き方を勇気をもって続けることです。

たとえば、仕事で遅くまで残る日が続いているとしてみてください。その残業は、本当に目指すものにつながっているでしょうか。

何かを始める前に、「これは何のためか」を一行だけ書けばいいのです。

禅定とは?心を落ち着けて、ひとつのことに向けること

禅定と聞くと、お寺で座禅を組む特別な修行を思い浮かべるかもしれません。

でも、禅定の中心にあるのは、散らかった心を落ち着けて、ひとつのことに向けることです。

心が静まると、自分の愚かさからも目をそらさずに向き合えます。禅定は、心の中を整理していく時間とも言えます。

心がそわそわしたままでは、目指す場所へまっすぐ向かえません。

たとえば、何かを始めようとするたびに、スマートフォンの通知が気になるとしてみてください。5分ごとに画面を見ていたら、どんな作業も進まないはずです。

1日1回、1分だけ目を閉じて、自分の呼吸を数えればいいのです。それだけでも、心は少しずつ静かになっていきます。

四無量心とは

智慧とは?学ぶだけで終わらせず、物事をありのままに見抜く力

智慧というと、知識の多さや頭の良さのことだと思われがちです。

でも、仏教の智慧は、物事をありのままに見抜く力です。般若心経の「般若」も、この智慧のことです。

冒頭でお伝えしたとおり、たくさん学んでも使わなければ「動く辞書」のままです。智慧は、本を読むだけで身につくものではありません。

布施、持戒、忍辱、精進、禅定の5つを実際にやってみる。その積み重ねの先に、智慧は自然とついてくると考えられています。

たとえば、この記事を読み終えたら、どれかひとつを今日のうちに試してみてください。

学んだことをひとつ、今日のうちに実際にやってみればいいのです。それが智慧への一歩になります。

仏教における六波羅蜜(ろくはらみつ)とは?

浄土真宗から見た六波羅蜜、できる分からでいい

ここまで読んで、「6つとも完璧にできる人などいない」と感じたかもしれません。

実は、浄土真宗もそう考えます。親鸞聖人は、自分を煩悩だらけの凡夫(ぼんぷ)と見つめました。六波羅蜜を自分の力で完成させられない者こそ、阿弥陀さまが本願によって必ず救うと説いたのです。

六波羅蜜は、生きやすくなる方法として役に立ちます。でも、浄土真宗では、救われるための条件とは考えません。

だから、六波羅蜜をやりきれない自分を責めなくていいのです。救いは、完成させた人へのごほうびではありません。

そのうえで、救われた身のお礼として、できる分からやってみる。うまくいかない日があっても、また翌日にひとつ試せばいい。得藏寺では、そのように受け止めています。

完成させなくていい。できる分から、ひとつずつ。

六波羅蜜に関するよくある質問

六波羅蜜の読み方は?

「ろくはらみつ」と読みます。6つの中身は、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)です。

六波羅蜜の覚え方は?

言葉を動きに置き換えて、「あげる、守る、折れない、続ける、落ち着く、見抜く」と覚えるのがおすすめです。前の5つを実践すると6つ目の智慧がついてくる、という流れで覚えると忘れにくくなります。

六波羅蜜と八正道の違いは?

八正道は、自分の苦しみを終わらせるための8つの道です。六波羅蜜は、人に差し上げる布施から始まる、菩薩の6つの実践です。精進や禅定のように重なる所も多く、対立する教えではありません。

六波羅蜜と般若心経の関係は?

般若心経の「般若波羅蜜多」は、六波羅蜜の6つ目、智慧の完成のことです。般若心経については、般若心経と浄土真宗の記事をご覧ください。

浄土真宗でも六波羅蜜を実践しますか?

浄土真宗では、六波羅蜜を救われるための条件とは考えません。救いは阿弥陀さまのはたらきによるものだからです。そのうえで、救われた身の感謝として、できる分から人に差し上げることを大切にします。くわしくは他力本願の記事をご覧ください。

まとめ、六波羅蜜は今日できる分からでいい

六波羅蜜とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の6つで、迷いの岸から向こう岸へ渡るための実践です。

どれも特別な修行ではありません。時間を差し上げる。決めたことを守る。心を折らない。何のためかを確かめる。心を落ち着ける。学んだことを試す。どれも今日から始められます。

6つ全部でなくてかまいません。今日はひとつだけ選んで、試してみてください。それが六波羅蜜の最初の一歩です。

参照
・愛葉宣明『人生を変えるのに修行はいらない』白夜書房 https://www.byakuya-shobo.co.jp/book/b10025013.html (布施の節を参照)
・愛葉宣明『あなたはもっと報われていい』白夜書房 https://www.byakuya-shobo.co.jp/book/b10025012.html (他力本願の解説を参照)

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、仏陀倶楽部(BuddhaClub)代表

愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校卒業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す
現在は誰でもすぐ「得度」をできる活動を推進中。

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