四苦八苦とは?意味をわかりやすく、8つの苦しみと向き合い方

四苦八苦の意味とは?

「どうして、こんなに思い通りにいかないのだろう」

あなたにも、そうつぶやきたくなる日はないでしょうか。仕事も家族も、自分なりに大事にしている。それでも、心が晴れない日がある。

多くの人は、苦しみを「運が悪かったから起こるもの」と考えます。

でも、仏教の見方は少し違います。苦しみは誰の人生にも起こるもので、種類を数えることができる。そう整理したのが四苦八苦(しくはっく)です。

この記事では、四苦八苦の意味と8つの苦しみの中身、日常語の「四苦八苦する」との関係を、身近な場面にたとえてお伝えします。読み終えるころには、今の苦しみが「どの苦しみなのか」が見えてくるはずです。

四苦八苦については、得藏寺の暁蓮(ぎょうれん)が動画でも4分半ほどでお話ししています。文章と合わせてご覧ください。

四苦八苦とは?生老病死に4つの苦しみを加えた8つの苦

四苦八苦とは、お釈迦様が説いた、人が生きるうえで避けられない8つの苦しみのことです。読み方は「しくはっく」です。

まず、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことの4つがあります。これが四苦で、生老病死(しょうろうびょうし)とも呼ばれます。

そこに、人との別れと出会い、欲、心と体にまつわる4つの苦しみが加わります。四苦と合わせて8つになるので、八苦です。

「四苦と八苦で、苦しみは12個あるのでは」と、あなたは思うかもしれませんね。

でも、八苦は四苦を含んだ数え方です。つまり、苦しみは全部で8つです。

仏教の「苦」は「思い通りにならないこと」

「苦しみ」と聞くと、痛みやつらさを思い浮かべる人が少なくありません。

でも、仏教でいう「苦」はもっと広い言葉です。自分の思い通りにならないこと、そのすべてが「苦」に入ります。

たとえば、毎朝乗る電車が止まってしまったとしてみてください。体はどこも痛くないのに、心はざわつきます。「予定通りに着きたい」という思いが、かなわないからです。

お釈迦様は、この世のすべては思い通りにならないと説きました。これを一切皆苦(いっさいかいく)と呼びます。

四苦八苦は、その「思い通りにならないこと」を8つに分けて見せてくれる地図のようなものです。

一切皆苦とは

生苦、苦しみは母の胎内に宿ったときから始まる

四苦のはじめは生苦(しょうく)、生まれることの苦しみです。

赤ちゃんの誕生は、多くの人にとって幸せな出来事です。「生まれることが苦しみ」と言われると、戸惑うのではないでしょうか。

でも、仏教では、苦しみは母親のお腹に宿ったときから始まると考えます。

お腹の中は、ふかふかで心地よい場所に思えます。お母さんがゆったりと音楽を聴いてくつろいでいるときは、きっと穏やかなひとときでしょう。

でも、お母さんが走れば、その揺れがそのまま届きます。お母さんの気持ちが乱れれば、その影響も受けます。お腹の中の赤ちゃんは、自分では何ひとつ選べません。

つまり、生まれる前から「思い通りにならない」は始まっているのです。生まれる時代も、親も、体も、自分で選んだものではありません。

老苦、病苦、死苦、誰にも止められない3つの苦しみ

生まれたからこそ、人は老いも病も死も背負うことになります。生苦が四苦のはじめに置かれているのは、そのためです。

老苦(ろうく)は、老いていく苦しみです。昨日まで平気だった駅の階段で、息が切れる日が来ます。

病苦(びょうく)は、病気になる苦しみです。健康に気をつけていても、病はこちらの都合を待ってくれません。

死苦(しく)は、死ぬことの苦しみです。人は必ず死ぬとわかっていても、自分や大切な人のこととなると受け止めきれません。

この3つに共通するのは、努力では止められないという点です。

「若くいたい」「病気になりたくない」「死にたくない」。この願いが強いほど、変わっていく体とのずれに苦しむことになります。

まずは、今の苦しみが四苦のどれに当たるのか、名前をつけて見てみればいいのです。

苦しみに名前がつくと、正体の見えない不安は小さくなる。

苦しみに名前をつけ、向き合い方を学ぶ。それは、山にこもって行う修行ではなく、日々の暮らしのなかで続けていくものです。得藏寺には、今の仕事も住む場所も変えないまま得度(僧侶になること)をして、学びを続けている方々がいます。働きながら僧侶になるには?

「生老病死と無常」死を見つめることで見つける人生の教訓

人生で直面する残りの四つの苦しみ、人と欲と心身の苦

生老病死が「体」に起こる苦しみだとすれば、残りの4つは、おもに「心」と「人との関係」から生まれる苦しみです。

こちらは、今日の暮らしのなかでも顔を出します。ひとつずつ見ていきましょう。

愛別離苦と怨憎会苦、人との関係から生まれる苦しみ

愛別離苦(あいべつりく)は、愛する人と別れる苦しみです。

死別だけではありません。子どもの独立、転勤で仲間と離れること、大切にしていた物をなくすことも含まれます。

怨憎会苦(おんぞうえく)は、会いたくない人と会わなければならない苦しみです。相手は人だけではありません。避けたい出来事に向き合わなければならないことも含まれます。

たとえば、苦手な上司と毎朝顔を合わせる場面を思い浮かべてみてください。月曜日の朝、駅から会社までの足どりが重くなる。それが怨憎会苦です。

一緒にいたい人とは離れ、離れたい人とは一緒にいる。人間関係の悩みの多くは、この2つのどちらかに当てはまります。

求不得苦と五蘊盛苦、欲と心身から生まれる苦しみ

求不得苦(ぐふとっく)は、求めるものが手に入らない苦しみです。欲しい、欲しいと求めても、手に入らないもののほうがずっと多いのです。

「手に入れば満たされる」と、多くの人は考えます。

でも、欲しかった物が手に入っても、しばらくすると次の「欲しい」が生まれます。昇進を願ってかなったとたん、今度はさらに上を見てしまう、ということはないでしょうか。

五蘊盛苦(ごうんじょうく)は、心と体そのものが思い通りにならない苦しみです。五蘊(ごうん)とは、体と、感じる、思い描く、考える、知るという心のはたらきをまとめた言葉です。

たとえば、「もう気にしない」と決めたのに、夜になると同じことばかり考えてしまう。心は自分のものなのに、自分の言うことを聞いてくれません。

五蘊盛苦は、ほかの7つをまとめる苦しみとも受け取られてきました。この身があるからこそ生まれる、根っこの苦しみです。

心と体がある限り、苦しみを感じる器ごと抱えて生きている、ということです。

苦しくなったら、「これは8つのうちのどれだろう」と一度だけ問いかければいいのです。

手に入れても、次が欲しくなる。それも四苦八苦のひとつ。

日常語の「四苦八苦する」の意味と使い方、例文と言い換え

日常では「四苦八苦する」を、とても苦労するという意味で使います。仏教の言葉が、暮らしの言葉として根づいた例です。

「四苦八苦する」の例文

たとえば、次のように使います。

慣れない確定申告の書類づくりに四苦八苦した。
新しい会計ソフトの操作に、朝から四苦八苦している。
締め切りに間に合わせようと、チーム全員で四苦八苦した。

どれも「思うように進まず、あれこれ手を尽くして苦労する」場面です。人に向けて「四苦八苦させられた」と言うと、相手を責める響きになるので、使う場面には気をつけたいところです。

語源と、仏教本来の意味とのつながり

語源は、ここまで見てきた仏教の四苦八苦です。

仏教の四苦八苦は、生きることそのものに備わった苦しみでした。それが日常語になると、目の前の作業で苦労することへと、意味が軽くなりました。

でも、根っこは同じです。「思い通りに進めたいのに、進まない」。確定申告に四苦八苦するときも、心の中では小さな求不得苦が起きています。

「四苦八苦」の言い換えと類語

言い換えには、「悪戦苦闘」「苦心惨憺(くしんさんたん)」「手こずる」「苦戦する」などがあります。

ビジネスの場なら、「対応に苦慮しております」「調整が難航しております」と言い換えると、落ち着いた印象になります。

次に「四苦八苦した」と口にしたときは、何が思い通りにならなかったのかを、一言で言い直してみればいいのです。

「四苦八苦した」の奥には、思い通りにしたかった何かがある。

四苦八苦の苦しみから解放される方法はありますか?

8つを見てきて、「この世界は、本当は苦しみだらけなのかもしれない」と感じた方もいるでしょう。

「苦しみは、がんばって乗り越えるもの」と考える人が少なくありません。

でも、仏教は、まず苦しみを明らかに見ることから始めます。

四苦八苦を見分けることが、四諦の第一歩

お釈迦様は、苦しみを終わらせる手順として四諦(したい)を説きました。その最初が「人生には苦しみがある」と認める苦諦(くたい)で、四苦八苦はその中身にあたります。

つまり、四苦八苦を知ることは、苦しみの現状把握です。風邪を治すときに、まず熱なのか咳なのかを見るのと同じです。

苦しみだらけに見えても、安心してください。お釈迦様は、苦しみを終わらせる道がちゃんとあると太鼓判を押しています。

苦しみの原因は十二縁起(じゅうにえんぎ)でたどります。終わらせる方法として歩むのが、八正道(はっしょうどう)です。

どの苦しみかがわからないままでは、原因も探せません。見分けることが、すべての出発点になります。

楽しい時間の裏側を、そっと見てみる

四苦八苦と聞くと、「人生は苦しいことばかり」と暗い気持ちになるかもしれません。

でも、楽しいことや嬉しいことも、たしかにあります。大事なのは、その裏側まで見ることです。

たとえば、家族旅行の最終日の夜を思い出してみてください。楽しいのに、どこかさみしい。「終わってほしくない」という思いが、もう顔を出しています。

楽しさの中にも、変わっていくものへの小さなしがみつきが隠れています。それに気づくと、「失いたくない」とつかむ力が少しゆるみます。

「もっと欲しい」「失いたくない」と求め続ける心については、渇愛(かつあい)の記事でくわしく解説しています。

八正道の重要性とは? 人間の苦悩からの脱却法

浄土真宗から見た四苦八苦、消しきれない苦しみを抱えたまま

浄土真宗では、四苦八苦を自分の力だけで消しきることは難しいと考えます。

老いも病も死も、どれほど修行を積んでも止めることはできません。欲や怒りも、生きている限り湧いてきます。

親鸞聖人は、そんな自分を煩悩だらけの凡夫(ぼんぷ)と見つめました。そのうえで、苦しみを抱えたままの人こそ救うという、阿弥陀さまの本願の道を説きました。

お釈迦様の太鼓判は、苦しみを自分で消しきれる人だけに向けたものではありません。浄土真宗では、消しきれない人のためにこそ、阿弥陀さまの願いがあると考えます。

苦しみを消せない自分を、責めなくていいのです。見つめたうえで、どうにもならないところは阿弥陀さまにお任せする。

そのままの身で、南無阿弥陀仏とお念仏を申す。得藏寺では、そのように受け止めています。

今日、苦しいと感じたら、それが8つのどれかを見て、「そういうものだ」と一度うなずけばいいのです。

苦しみは消せなくてもいい。見つめたら、あとは任せればいい。

四苦八苦に関するよくある質問

四苦八苦の読み方は?

「しくはっく」と読みます。四苦は「しく」、八苦は「はっく」です。

四苦八苦の8項目は?

生苦、老苦、病苦、死苦の四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の4つを加えた8つです。

四苦八苦は誰が言った言葉ですか?

お釈迦様の教えです。悟りを開いたあとの最初の説法で、苦諦の中身として生老病死などの苦しみを説いたと伝えられています。

四苦八苦の意味と例文は?

仏教では、生きるうえで避けられない8つの苦しみのことです。日常語では「とても苦労する」の意味で、「引っ越しの荷造りに四苦八苦した」のように使います。

ビジネスでの言い換えは?

「苦戦しております」「対応に苦慮しております」「調整が難航しております」などが使えます。社内の会話なら「手こずっています」でも伝わります。

四苦八苦を英語で言うと?

日常語の「四苦八苦する」なら、struggle や have a hard time が近い表現です。

まとめ、四苦八苦の意味を知って今日を大切に生きる

四苦八苦とは、生老病死の四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を加えた8つの苦しみのことです。

日常語の「四苦八苦する」も、根っこには「思い通りにならない」という同じ苦しみがあります。

苦しみをなくそうと焦るより、まず「これは8つのどれか」と見分ける。お釈迦様は、そこから道が始まると教えました。

今日、心に引っかかっていることをひとつ思い浮かべて、8つのどれに当たるかを見てみてください。それが四苦八苦と向き合う最初の一歩です。

参照
・愛葉宣明『人生を変えるのに修行はいらない』白夜書房 https://www.byakuya-shobo.co.jp/book/b10025013.html (四苦八苦と一切皆苦の解説を参照)
・愛葉宣明『あなたはもっと報われていい』白夜書房 https://www.byakuya-shobo.co.jp/book/b10025012.html (自分でどうにもできないことはお任せする、という他力本願の解説を参照)

僧侶になる道(得度)を考えている方へ

得藏寺では、今のお仕事も住む場所も変えずに得度できます。得度のための特別な費用はいただいておりません(仏陀倶楽部の会員として月額3,110円の布施行)。年齢の上限はなく、女性も得度されています。剃髪も必要ありません。

得度について詳しく見る

働きながら僧侶になるには? | ご相談だけでも承っています

得藏寺が運営する「仏陀倶楽部」の公式LINEでは、毎日、仏教の言葉が届きます。

悩みは相談フォームから僧侶に送ることもできます(お返事にはお時間をいただきます)。

監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、仏陀倶楽部(BuddhaClub)代表

愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校卒業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す
現在は誰でもすぐ「得度」をできる活動を推進中。

愛葉宣明のコラムはこちら