得度(とくど)の基本的な意味
得度とは、仏教において僧侶となるための儀式、または手続きを指します。寺院出身や在家(ざいけ)出身にかかわらず、この儀式を経て仏門に入ります。
宗派によってその過程は異なりますが、まず師僧(しそう)を探し、見習いとして仏教の教えや作法を学んだあと、師僧のもと、または本山にて得度式が行われます。そこで剃髪し、法名を授かり、戒律の遵守を誓うなどするのが一般的です。そして修行の道に進み、自己研鑽に励みながら、布教活動を行います。
僧侶になるための資格はありません。誰でも僧侶になることができますが、仏教の教えを学んだり、修行をしたりすることを必須にする宗派がほとんどです。なぜなら、お釈迦様の弟子として悟りを開くことを目指し、その教えを人に伝えることが役目だからです。
ちなみに、得度と同じような意味を持つ「出家」。どちらも「僧侶になる」と解釈されていますが、厳密に言うと、出家は家を出てお釈迦様の弟子になることを指し、得度は前述のとおり儀式を指します。
浄土真宗における得度の特徴
浄土真宗の教えは、親鸞聖人の「誰も置き去りにしない」という救済の精神に基づいています。どのような背景や煩悩を持つ人々であっても、阿弥陀仏の教えによって救われる可能性があるという考え方です。
これは得度においても同じで、修行をしないため、僧侶になるための間口がより開かれていると言うことができます。その結果、多くの人が僧侶として学び、教えを広める機会を持てるようになるのです。
ただし、「誰でもすぐに僧侶になれる」わけではありません。得度を受けるには講習などを受けることが必要です。また、浄土真宗にもさまざまな宗派があり、手続きや得度までの過程、それにまつわる費用などもそれぞれ異なります。。

現代における得度の意義と可能性
現代において、得度の意義と可能性はさらに広がっています。特に、多様化する価値観やライフスタイルに対応して、得度は多くの人々にとってアクセスしやすい選択肢となっています。それは、浄土真宗の教えが、現代社会においても非常に受け入れられているからです。
また、現代の忙しい生活や多様な問題に対する解決策として、仏教の教えが再評価されています。このような状況を背景に、得度を選ぶことは、多くの人々にとって精神的な支えを得る手段となっています。
得度によって僧侶となった人々は、仏教の教えを具体的な行動や生活に取り入れ、それを社会全体に広める役割を果たすことができます。これは、現代において多くの人々が直面する心の問題や倫理的課題に対する一つの解答となるでしょう。
以上のように、現代における得度は、多くの人々にとって精神的な成長と社会貢献の可能性を広げる重要な選択肢と言えます。
浄土真宗 慈徳山 得藏寺「得度について」
浄土真宗 慈徳山 得藏寺では、親鸞聖人の信念をさらに推し進め、「誰でも僧侶になれる」という考えのもと、得度への道をご用意しています。
僧侶は必ずしも寺院出身である必要はありません。特定の家系やお寺に所属していなくても、得度を受けて僧侶になる道が開かれているわけです。
仏教とは「人々が幸せに生きるための教え」です。
もし、「自分も仏教の教えを深く学びたい」「僧侶としての新しい道を探求したい」などと感じた方は、得藏寺の「得度について」のページで得度に関する詳細をご確認いただけます。
得藏寺では、誰であっても仏教を学び僧侶になれる「得度」への道をご用意しております。この機会に、心の成長と社会への貢献ができる新しい道を探してみてはいかがでしょうか。
詳しくは、以下の「得度について」のページをご覧ください。