五戒(ごかい)の意味とは?

五戒とは

はじめに:より良く生きるための「ルール」とは?

私たちの社会には、法律、規則、マナーなど、様々な「ルール」が存在します。それらは時に私たちを縛る窮屈なものに感じられるかもしれませんが、同時に、私たちが安全に、そして互いを尊重しながら共に生きていくためには欠かせないものでもあります。

実は、仏教にも、私たちがより良く、そして心穏やかに生きていくための基本的な「ルール」があります。それが「五戒(ごかい)」と呼ばれるものです。これは、仏教徒、特に在家(出家していない一般の信者)が日常生活で心がけるべき、最も基本的で重要な5つの戒(いまし)め、あるいは自制の誓いを指します。

「戒律」と聞くと、何か厳格で難しい、特別な修行者のためのもの、というイメージがあるかもしれません。しかし、五戒の内容を見てみると、それは決して特別なものではなく、私たちが人間として、社会の一員として、より平和で幸福な人生を送るために、普遍的に大切な指針であることが分かります。

さらに、五戒は単に「〜してはいけない」という禁止事項だけではありません。それぞれの戒めの裏には、他者を思いやる心、誠実さ、自己を律することの大切さといった、積極的で豊かな意味合いが含まれています。

この記事では、

  • 仏教における「五戒」とは、具体的にどのような内容なのか?
  • なぜこれらの戒律が大切にされているのか?
  • それぞれの戒めが持つ、深い意味と積極的な側面とは?
  • (日本の仏教、特に浄土真宗では、この五戒をどのように捉えているのか?)
  • 現代社会を生きる私たちが、五戒の精神をどのように日々の生活に活かせるのか?

などを、詳しく、そして分かりやすく解説していきます。仏教が示す「幸せな生き方の基本ルール」に触れ、ご自身の行動や心のあり方を見つめ直すきっかけとなれば幸いです。

五戒とは何か? – 仏教徒の基本的な心得

まず、五戒の全体像と、仏教における戒律の基本的な考え方について見ていきましょう。

在家信者のための基本的な行動規範

仏教には、出家した僧侶が守るべきより多くの、そして詳細な戒律(具足戒:ぐそくかい)がありますが、五戒は、主に出家していない在家信者が、仏教徒として生きていく上で基本となる実践項目として位置づけられています。もちろん、僧侶にとっても基本となる重要な戒めです。これらは、お釈迦様(ブッダ)が、在家の人々のために説かれたものとされています。

なぜ「戒律」が必要なのか?

仏教において、なぜこのような戒律を守ることが勧められるのでしょうか? その理由はいくつかあります。

  1. 悪業を防ぎ、自他を守るため: 戒律は、私たちが身(身体)・口(言葉)・意(心)によって悪い行い(悪業)をすることを防ぎます。悪業は、自分自身だけでなく他者をも傷つけ、苦しみを生み出す原因となります。戒律を守ることは、自他共に不幸から守るための「防波堤」のような役割を果たします。
  2. 心の平穏を得て、修行の土台を作るため: 戒律を守る生活は、後悔や罪悪感、他者との争いなどを減らし、心の静けさと安定をもたらします。この落ち着いた心(定:じょう)は、物事の真理をありのままに見る智慧(慧:え)を育むための土台となります。仏教の修行の基本は「戒・定・慧」の三学(さんがく)と呼ばれ、「戒」はその第一歩として非常に重要視されます。
  3. より良い未来(来世)のため: 仏教の輪廻観においては、現世での行い(業)が来世の生まれ変わり先を決定すると考えられます。戒律を守り、善業を積むことは、より良い世界(善趣)へ生まれ変わるための功徳となるとされます(これは世俗的な目的と言えます)。
  4. 究極の目標(解脱・涅槃)のため: 最終的には、戒律によって煩悩を抑制し、心を制御する訓練を通して、苦しみの輪廻から完全に解放された境地(解脱・涅槃)へと至るための、重要なステップとなるのです。

「戒」と「律」の違いについて

仏教で「かいりつ」という場合、「戒(かい)」と「律(りつ)」の二つの意味が含まれることがあります。厳密には、「戒」は仏弟子が自ら誓って守る内面的な規範(自発的な自制)を指し、「律」は僧侶の教団(僧伽:さんが)の秩序を維持するための規則(他律的な罰則規定を含む)を指します。五戒は、主に前者の「戒」に分類され、自らが「守ろう」と心に誓う性質のものです。

五戒は「禁止」だけではない:積極的な意味合い

五戒は「不〜戒」という形で、「〜しない」という禁止の形をとっています。しかし、その本質は単なる禁止命令ではありません。それぞれの「〜しない」という行為の裏には、「〜する」という積極的な徳の実践が促されています。

  • 殺さない(不殺生)ことは、生命を慈しむ(慈悲)こと。
  • 盗まない(不偸盗)ことは、他者に与える(布施)こと。
  • よこしまな性行為をしない(不邪淫)ことは、清らかな関係を保つ(清浄)こと。
  • 嘘をつかない(不妄語)ことは、真実を語る(正直・誠実)こと。
  • 酒を飲まない(不飲酒)ことは、心を明晰に保つ(不放逸・正念)こと。

このように、五戒は、私たちがより善く、より積極的に生きるための道しるべでもあるのです。

五戒の一つひとつを詳しく解説:その意味と現代への応用

それでは、五戒の5つの項目それぞれについて、その具体的な意味、背景にある考え方、そして現代社会で私たちがどのように実践できるかを見ていきましょう。

1. 不殺生戒(ふせっしょうかい):生き物の命を故意に奪わない

  • 意味: 故意に、生きているものの命を断つ行為をしない、という戒めです。「生き物」の範囲については解釈の幅がありますが、一般的には人間だけでなく、動物や昆虫なども含まれると考えられます。重要なのは「故意に」という点で、誤って傷つけてしまった場合などは、通常、この戒を破ったことにはなりません(ただし、注意を怠った責任は問われる可能性があります)。
  • 背景にある考え方: すべての生き物は、人間と同じように苦しみを避け、安楽を求めて生きています。そして、どの生命も、自分自身の命を最も大切に思っています。この生命の尊厳に対する深い認識と、他者の苦しみへの共感(慈悲)が、不殺生戒の根底にあります。また、怒りや憎しみといった煩悩が、しばしば殺生の原因となるため、この戒めは怒りの心を抑制する実践にも繋がります。
  • 積極的な側面: 単に殺さないだけでなく、あらゆる生命を尊重し、慈しみ、保護し、育むこと。他者の安全や幸福を願う心。平和を希求し、あらゆる形の暴力を否定する非暴力(アヒンサー)の精神。
  • 現代での実践:
    • 直接的な殺人はもちろん、動物虐待などを避ける。
    • 間接的に生命を脅かす行為、例えば、環境破壊に繋がるようなライフスタイルを見直す、危険な運転をしない、憎悪や差別を煽るような言葉の暴力を振るわない、といったことも、広い意味での不殺生の精神に関わってきます。
    • 食生活について:仏教徒=菜食主義者というイメージがあるかもしれませんが、五戒の不殺生戒は、必ずしも菜食を義務付けるものではありません(ただし、自ら殺生して食べることは避けるべきとされます)。食の問題は、文化や個人の考え方によって多様なあり方があります。

2. 不偸盗戒(ふちゅうとうかい):与えられていないものを盗らない

  • 意味: 他人が所有しているものを、その人の同意なしに、不正な手段で自分のものにしない、という戒めです。これには、いわゆる泥棒や強盗だけでなく、詐欺、横領、騙し取ることなども広く含まれます。基本的には「与えられていないものを取らない」ということです。
  • 背景にある考え方: 他者の所有権を尊重することは、社会の秩序と信頼関係を維持するための基本です。また、他人のものを欲しがる心は、貪欲(とんよく)という煩悩の現れであり、この戒めはその貪りの心を自制する実践となります。
  • 積極的な側面: 盗まないことの反対は、他者に快く与えること、施すこと(布施:ふせ)です。布施には、財産を与える「財施(ざいせ)」、仏法を説く「法施(ほうせ)」、不安を取り除き安心を与える「無畏施(むいせ)」などがあります。自分のものを惜しまず、他者と分かち合う心、与える喜びを知ることが、不偸盗戒の積極的な精神です。
  • 現代での実践:
    • 万引きや置き引きなどの物理的な窃盗はもちろん、会社のお金を使い込む、人のアイデアや著作物を盗用する(知的財産権の侵害)といった行為も含まれます。
    • 不当な手段で利益を得ること、例えば脱税や不正請求なども、広い意味ではこの戒めに関わるでしょう。
    • また、「人の時間を奪う」という観点から、約束の時間に遅れる、無駄な長話をするといった行為にも注意が必要かもしれません。
    • 根底にあるのは、公正さ、正直さ、そして他者の権利への尊重です。

3. 不邪淫戒(ふじゃいんかい):よこしまな(道ならぬ)性行為をしない

  • 意味: 配偶者や正式なパートナー以外との性交渉、あるいは社会的に非難されるような不道徳な性行為(邪=よこしまな、淫=みだらな行為)をしない、という戒めです。これは主に在家信者に対するもので、出家した僧侶は性行為そのものを完全に断つことが求められます(不淫戒)。
  • 背景にある考え方: この戒めは、主に性的な欲望(これも貪欲の一種)をコントロールし、それによって引き起こされる様々な問題(自他の心身を傷つける、家庭の崩壊、社会の混乱など)を防ぐことを目的としています。人間関係における信頼と誠実さを守るための重要な規範です。
  • 積極的な側面: パートナーに対する誠実さ、貞節を守ること。互いを尊重し、愛情に基づいた清らかな関係性を築くこと。性的なエネルギーを建設的な方向へ昇華させること。
  • 現代での実践:
    • 結婚している、あるいは特定のパートナーがいる場合は、浮気や不倫をしないこと。
    • 相手の同意のない性的な言動(セクシャルハラスメントや性的暴行)は、この戒めに著しく反する行為です。
    • ポルノグラフィへの耽溺など、性的な欲望に過度に振り回される生活態度も見直しの対象となるかもしれません。
    • 基本となるのは、自己コントロールと、他者の人格と尊厳への深い配慮です。

4. 不妄語戒(ふもうごかい):嘘をつかない

  • 意味: 意図的に、事実と異なること(嘘、偽り)を語らない、という戒めです。「妄語」とは、「いつわりの言葉」という意味です。
  • 背景にある考え方: 真実を語ることは、個人の誠実さを示すと同時に、社会における信頼関係を築くための最も基本的な土台です。嘘は、一時的には自分を守るかもしれませんが、長期的には信用を失い、人間関係を破壊し、自分自身をも苦しめることになります。また、自分自身に対して嘘をつくこと(自己欺瞞)も、真理の探求を妨げる大きな障害となります。
  • 積極的な側面: 正直であること、誠実であること。時には不都合なことであっても、真実を語る勇気を持つこと。言葉に責任を持ち、建設的で、他者を励ますような言葉(愛語:あいご)を用いること。これは八正道の「正語(しょうご)」の実践とも深く繋がっています。正語では、妄語に加えて、悪口(あっく、粗暴な言葉)、両舌(りょうぜつ、仲違いさせる言葉)、綺語(きご、無意味なお世辞や飾り立てた言葉)も戒められます。
  • 現代での実践:
    • 日常会話におけるささいな嘘やごまかしから、ビジネスにおける虚偽の報告や契約不履行SNSでのフェイクニュースの拡散誹謗中傷まで、様々な場面でこの戒めは重要となります。
    • 言葉が持つ影響力を自覚し、発言に責任を持つ姿勢が求められます。

5. 不飲酒戒(ふおんじゅかい):(基本的に)酒類を飲まない

  • 意味: 心を乱し、注意力を失わせ、他の戒めを破る原因となりうる酒類(アルコール飲料)を摂取しない、という戒めです。「飲酒」は「おんじゅ」と読みます。
  • 背景にある考え方: 他の四つの戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語)が、行為そのものが本質的に悪(性悪:しょうあく)とされるのに対し、飲酒そのものは直接的な悪とは言えないかもしれません。しかし、アルコールは正常な判断力(智慧)や自制心(禅定、正念)を失わせる大きな原因となります。酔った勢いで、思わず嘘をついたり、暴力を振るったり、盗みを働いたり、不適切な性的関係を持ったり… といった形で、他の四つの戒を破ってしまう危険性が非常に高いのです。そのため、飲酒は「すべての悪の入り口(衆悪の門)」あるいは「油断や怠慢(放逸:ほういつ)を生む原因」として、特に厳しく戒められるのです。
  • 解釈の幅と歴史: この不飲酒戒は、他の四戒に比べて、後代に追加された、あるいは解釈に幅があるとも言われます。初期の仏教経典には含まれていない場合もあるとされます。そのため、宗派や個人の立場によっては、「一滴も飲まない」という厳格な解釈から、「酔って心を乱さない程度なら許容される」「他者に迷惑をかけなければ良い」といった、より緩やかな解釈も存在します。
  • 積極的な側面: 酒(あるいはそれに類するもの)に頼らず、常に心を明晰(クリア)に保つこと。自己をコントロールし、正気(しょうき)を失わないこと。正念(マインドフルネス)を維持すること。
  • 現代での実践:
    • アルコールの飲み過ぎに注意し、節度を守ること。酔って他者に迷惑をかけたり、危険な行動(飲酒運転など)をとったりしないこと。
    • アルコールだけでなく、依存性のある薬物の使用はもちろん、ギャンブルや過度なインターネット・ゲームへの耽溺など、自己を失わせ、健全な判断力を妨げるような行為全般に対する自制の必要性を示唆している、と広く捉えることもできます。
    • 自己管理能力と、常に冷静でいることの重要性。

五戒を守ることの意味と功徳:より善く生きるために

これら五つの戒めを守って生活することには、どのような意味や効果(功徳)があるのでしょうか?

  • 現世における利益:
    • 罪悪感や後悔から解放され、心が安らかになる。
    • 他者を傷つけないことで、争いやトラブルを避け、人間関係が良好になる。
    • 周囲からの信頼を得られる。
    • 社会全体の秩序と平和に貢献する。
  • 来世における利益(輪廻観に基づく場合):
    • 悪業を避け、善業を積むことで、死後、より良い世界(人間界や天界など)に生まれ変わることができるとされる。
  • 究極的な利益(解脱・涅槃への道):
    • 五戒を守ることは、煩悩の働きを抑制し、心を制御する訓練となる。
    • それによって得られる心の安定(定)が、物事の真理を見抜く智慧(慧)を育む土台となる(戒定慧の三学)。
    • 最終的には、苦しみの輪廻から解放され、悟りの境地(涅槃)に至るための、欠くことのできない基礎となる。

浄土真宗における五戒の受け止め方

さて、ここで日本の仏教の中でも大きな流れである浄土真宗において、この五戒、あるいは戒律全般がどのように受け止められているかについて触れておきましょう。浄土真宗の戒律観は、他の多くの仏教宗派とは異なる、際立った特徴を持っています。

持戒(じかい)の困難性の徹底的な自覚

浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、ご自身の経験を通して、煩悩を抱えた私たち凡夫(煩悩具足の凡夫)が、自らの力(自力)で五戒のような戒律を完全に守り通すことは、不可能に近い、ということを深く自覚されました。

守ろうとすればするほど、かえって自分がどれほど戒めを破ってしまう存在であるか、どれほど煩悩から離れられないかを、痛いほど知らされる。これが凡夫の現実である、と見抜かれたのです。したがって、浄土真宗では、五戒をはじめとする戒律を守ること(持戒:じかい)を、浄土へ往生するための条件とはしません

「戒」は仏法を聞き、自己の真実を知るための「鏡」

では、五戒は全く無意味なのでしょうか? そうではありません。浄土真宗において、五戒(あるいはより広く仏の教え)は、私たち自身の本当の姿を映し出す「鏡」としての役割を果たします。

五戒という鏡に照らしてみる時、「ああ、自分は不殺生戒を守れていない。心の中では常に誰かを傷つけ、怒りの思いを抱いている」「不妄語戒を守れていない。平気で嘘をつき、自分をごまかしている」… このように、自分が戒めを守れない、罪深く愚かな存在であるという事実を、はっきりと自覚させられるのです。

他力の救いへと導く重要な縁(きっかけ)

そして、この「戒を守れない私」「自力ではどうにもならない私」という深い自己認識、自己への絶望こそが、かえって、自分の力を頼む心(自力)を捨てさせ、「もはや阿弥陀仏という仏様の絶対的な救いの力(他力)にすがるしかない」という心(信心)へと私たちを導く、非常に重要な縁(きっかけ)となるのです。戒律は、持戒によって救われるための手段ではなく、むしろ持戒できない自己を知らされることを通して、他力の救いへと向き直らせるための、いわば「方便(ほうべん)」としてのはたらきを持つ、と考えられるのです。

救われた者の自覚としての振る舞い(報恩感謝)

阿弥陀仏の他力の救いをいただき、必ず浄土へ往生できる身となった(信心を得た)人は、どう生きるのでしょうか? 浄土真宗では、そのような人は、戒律によって「~しなければならない」と強制されるからではなく、阿弥陀仏からいただいた測り知れないご恩に報いたいという、自然な感謝の心(報恩感謝:ほうおんかんしゃ)から、自ずと五戒の精神(他者を思いやり、命を大切にし、誠実に生きるなど)を尊び、それに沿った生き方を心がけるようになるとされます。

それは、往生の条件としてではなく、仏法を聞く者としての自覚に基づいた、感謝の念の自然なあらわれとして理解されます。もちろん、凡夫である限り、煩悩がなくなるわけではないので、完全に五戒を守れるわけではありません。失敗し、後悔しながらも、それでも仏様の願いに沿う生き方をしようと努める、そのプロセスそのものが尊いとされるのです。

(※親鸞聖人が僧侶でありながら肉食し、結婚されたことは、しばしば戒律を破ったと見られますが、浄土真宗では、それは戒律を軽んじたのではなく、むしろ、そのような戒律を守れない凡夫のありのままの姿を示し、それでもなお阿弥陀仏に救われる道があることを、身をもって明らかにするためであった、と深く解釈されています。)

まとめ:より良く生きるための、慈悲と智慧のガイドライン

仏教が示す「五戒」は、

  1. 不殺生戒(命を奪わない)
  2. 不偸盗戒(盗まない)
  3. 不邪淫戒(道ならぬ性行為をしない)
  4. 不妄語戒(嘘をつかない)
  5. 不飲酒戒(酒を飲まない)

という、私たちがより良く、より平和に生きていくための、最も基本的で普遍的な行動規範です。

それらは単なる「〜してはいけない」という禁止リストではなく、それぞれの裏には、生命への慈しみ、他者への施し、清らかな関係性、真実への誠実さ、心の明晰さの維持といった、積極的で豊かな精神が込められています。

五戒を守ることは、自他の幸福を守り、心の平穏を育み、さらには仏教の究極目標である悟り(涅槃)へと至るための大切な土台となります。

一方で、浄土真宗のように、私たち凡夫がこれらの戒律を自力で完全に守ることの困難性を見据え、むしろその「守れない自己」の自覚を通して、阿弥陀仏の他力の救いへと導かれる道を示す教えもあります。そして、救われた者は、義務としてではなく、感謝の心から自然に五戒の精神を大切にする生き方へと向かう、と説かれます。

どの立場から理解するにしても、五戒が示す基本的な倫理観や精神は、現代社会を生きる私たちにとっても、人間関係や仕事、日々の様々な選択において、自らを省み、より良い方向へと導いてくれる、慈悲と智慧のガイドラインとなりうるでしょう。

五戒の精神に触れ、ご自身の生活を少し振り返ってみることから、始めてみてはいかがでしょうか。

得藏寺が運営する「仏陀倶楽部」では、 日々の迷いや立ち止まりを、

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監修者 「愛葉 宣明」

僧侶、著述家、仏陀倶楽部(BuddhaClub)代表

愛知県名古屋市出身。浄土真宗大谷派である名古屋大谷高校業後、20歳で独立起業。自動車販売業、美容事業、飲食事業、リサイクル事業と、次々に事業を立ち上げる。
独立起業後10年を経て自身の中に湧きあがる疑問と向き合うため、事業を整理し、ヨーロッパを中心に世界30カ国以上を旅する中で、多くの宗教や文化、習慣や常識の違いに触れる。
「人は生きているだけで毎日が修行」という考えに至り、時代が変化しても自然淘汰されない“在り方”を仏教に見出す
現在は誰でもすぐ「得度」をできる活動を推進中。

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